おはようございます。
リュウです。
今日は、和田秀樹氏の本を再び紹介したいと思います。
彼は9月10日の日記でも紹介しました。
この人の本は、「知」を重んじている傾向があります。
場所によってはそれを嫌う人がいますが、
とても読んでて興味深いことを書くことが多い作家さんです。
大きく4つの内容に分かれています。
1 勉強の仕方
2 デキる社員に思われる方法
3 精神的ケア
4 読書について
彼は、ドラマ「ごくせん」を例に挙げながら、
現代社会の、不良=「心がキレイ」、秀才=「悪」という、
「学問をすること自体を嫌悪させるこの国の傾向」を、
問題視するところからはじめています。
1 勉強の仕方について
著者は、勉強法について大きく4つ方法を示しています。
① 記憶(インプット)すること
② アウトプットすること
③ 理系的思考(理論を考えた人が誰かではなく、理論を実践し結果を見つつ考える)をもつ
④ スキマ時間確保のために、「時間家計簿」をつける(ムダ時間の確認)。
彼は、獲得目標を持つことで勉強をすると考え、
そこから、「頭が良くなる」ことを目標にすべきと定義をしています。
知識をつけるために一番大切なことは「復習」することです。
では、どうやって復習をするかというと、「アウトプット」を重視するということです。
私事ですが、「ブログで書評を書く」のもひとつの方法です。
日本人はどうしてもインプットに知識の源を傾けがちなので、
アウトプットをすることで記憶と能力の充実を図ることが出来ます。
また、思っていることと逆のケースや、別のケースなどを想起する
「メタ思考」についても触れています。
2 デキる社員に思われる方法
エッセンスは大きく5つあります。
① アピールが必要な時代ということ
② 1本のホームランより10本の安打を打つ(失敗しても小成功をたくさんこなす)
③ 長所を知りそれを伸ばすことを重視する
④ 身だしなみなどをそろえ、第一印象をよくする
⑤ 論理的思考で口げんかに勝つ
では、その、論理的思考とは。
現代では、物静かに知的アピールをする時代ではありません。
自分はこれだけのことが出来るとアピールしないと認められない世の中です。
失敗は成功に隠れてしまう傾向があります。
1本の大きなホームランを打つより、10本の小さな安打を積むことです。
4番目の第一印象を良くするについては、
ある程度人間は「認知」を元に判断する生き物だからです。
しっかりとした格好をしていると、
どういうわけか中身もしっかりした人だと錯覚します。
論理的になるのは実はわかりやすい。
「自分の説に対して、なるべく客観的な根拠をもとめ、
同時に想定される多くの可能性に対して漏れのない根拠を用意する」(P95)
ことです。
また、大人のケンカは「勝つ」だけが正義ではありません。
負けを認め、教えを請うことで、
相手を満足させ、結果として自分のいき方として勝利することが出来ます。
3の精神的ケアについて
思い込みを数値化して考える
森田療法(ストレスの解消を他の人に頼る)
という方法を挙げています。
思い込みの数値化とは、
例えば、上司にしかられた際に、
思いついている気目付けを紙に書かせる
「上司が私をリストラする」などのように。
そう思っている確率を書かせてみる。
多くの件は100%と書く人は少ない。
他にも「上司が嫌っている」、「しかられる」など色々思いつくかもしれない。
これらの合計を100%になるようにする。
100%にならなければ、「他にないのか」確認する。
もし、ここで「ただ、機嫌が悪かっただけ」とか「私のためにしかった」
と気づければ、思い込みの迷宮から抜け出すことが出来るわけです。
森田療法とは、ストレスのはけ口を他の人に頼り、解消することです。
飲み屋で上司のグチなどをいうことです。
4つ目の本の勧めについては、一度そこまで読みすすめてください。
そこまで読みすすめられたら、参考文献として役立つことでしょう。
「学問のすすめ 福沢諭吉」
を読むことが、
現代人に必要なことというのは、時代背景的に間違いありません。
全体の構成しか自分も知らないので、後日読もうと思います。
今回紹介した本は、とてもよい本です。
【知に対する好奇心が強い人】ならば、役立つ本だと思います。
オススメします。
リュウ
追伸:
ここ10年の傾向として、
【「勉強が出来れば偉い」というのは間違っている。と主張するのが偉い】
という、アンチ学問の傾向があると思います。
勉強が出来れば偉いとは限りません。
そんなの当たり前です。
しかし、勉強は道具です。
勉強が出来なければ偉いというわけではないのですが、
無知な人が重宝されたり、
学歴がある人を差別の対象にしたりするような、
【アンチ学歴コンプレックス】の傾向が強いようです。
ひいては、そういう「勉強はすべきでない」という、
日本の時代背景を見ると大変心配です。
一部の家庭ではそれを見抜き、
学ばせて将来に備えさせています。
ますます、知の格差が広がることが目に見えています。
和田秀樹氏が「ごくせん」を例に挙げた
「秀才=悪」、「不良=心がキレイ」というのは、
それを真っ向から批判した意見なのだと思います。
今のまま、日本が「学問が出来る=悪」としてしまったら、国は衰退するでしょう。
ここに一石を投じられるような人物になりたいと思います。
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