娘に聞かれた「死生観」について

ブログ(その他)

先週もロストナンバー。

今日は、妻が仕事で1泊してきているため、帰ったあと休めるように娘と実家に行ってきました。

さて、本題。
今週も自己の内面を掘り下げている記事なので、公開するのが不甲斐ないものですが、がんばって書いていきましょう。

今日は、「娘が語った死生観」から得た教訓について。
何となく、Youtubeや友人が言っていた言葉に影響されていたのかもしれませんが、親として考えさせられました。

自分の人生のかじ取りは、自分で行うしかないのです。

娘に聞かれた死生観

先日、娘がふと私に聞いてきた。

「人はいずれ死ぬのに、なぜ生まれてくるの?」

5歳にして、既に難しい質問を投げかけてくるものかと思いました。
娘の成長を感じつつも、自分もかつて感じたことを思い出しながら娘に伝えました。

人が「生きる意味」って何だろう

娘に聞かれたときに、ふとある漫画の言葉を思い出しました。
最近アニメでやっていた「ダイの大冒険」です。

主人公の相棒であるポップは、最初こそ実力も勇気もなく、強い相手にくじけてしまう人でした。
数々の戦いが彼に勇気を与え、乗り越え、最後に主人公の知性の面からサポートするチームになくてはならないムードメーカーになりました。

等身大の彼の視点は、超人でもない私たちに勇気を与えてくれることでしょう。

そんな、ポップが幼少の頃に感じた死生観について。
シリーズでも屈指の名シーンとして挙げられることがあります。

我が子くらいの頃でしょうか。
子供というのは5歳くらいになると死について実感がわいてくるのかもしれません。

死について恐怖した子、ポップに対し彼の母親が残した答えが、

「人は皆死ぬ。
 だから、みんな一生懸命生きるのよ。」

人により捉え方が色々と変わるかもしれませんが、個人的には、

死は避けられない。
でも、生きているときにどうするかはその人次第
である、と感じさせられました。

娘への「答え」

「人は死ぬのになぜ生まれてくるの?」

娘には次のように答えてみました。

「死ぬことを考えるとそうだよね。
 人はいずれ死んでしまう。

 だとしたら、死ぬことを考え続けるより、
 どのように生きていくかが大切なんだと思うよ。」

と、伝えました。

はぐらかしたような感じになりましたが、

人の「死を起点」に考えるか、「生を起点」に考えるか、

捉え方で、死についての視点が変わると思います。

つまるところ、一生懸命「生きる」しかない

自分に当てはめてみる。

・仕事の不条理を耐え続けるのみ
・自分の夢を無視する行動
・他者を言い訳に行動しない

などなど、自分の意思に反して生き続けるということはとても苦しいことです。

自分に嘘をついて生き続けることは死に近い状態であると思います。

死んだような人生を過ごすか、生きて過ごすか。
それは自分次第。

どうせなら自分は、前者でありたいと思うのです。

自身の28歳のときの死生観

自身が幼児期にどう思っていたかの記憶はないですが、仕事3年目くらいに死生観について折り合いをつけた時期がありました。

今の職場は、割と定年まで残る人が多いです。

 程々の仕事で定年退職(当時は60歳)まで生き、
 程々に暮らし、
 程々の退職金をもらい、
 60歳になった体力と気力がなくなった自分が残る。

その後20年くらい生きたら、亡くなり、焼かれ、骨となるのみ。

「そんな人生が楽しいだろうか」

当時、退職直前だったおじさんに聞いたところ、

「最近の若者(既に28歳でしたが)は、変なこと考えるもんだな。」

とあしらわれていたことを覚えています。

牙を抜かれ、約40年働き、あとは程々生きて人生終了ということが本当に楽しいだろうか。不安を持っていた頃でした。

そんなある日、税理士試験と出会うことになります。

「ここから脱出せねば。」

やらねばならない生き方(目標)が出来た自分にとって、今までと見える景色が変わりました。目的が決まれば5時に起きて、仕事と将来を詰め込んで24時に寝ても何とか頑張れるものです。

一生懸命生き続けて今の自分があります。

もう一息。
がんばって、将来を掴みたいものです。

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