おはようございます。
スーパー銭湯に行ってきて、のんびりとした時間を過ごせました。
とはいえ、娘がひたすらはしゃいで2,3分で興味が移るので色々な湯舟をはしご。
最後にゆっくり使った以外は忙しかったという意味では運動量も多かったです。
さて、本題。
よく、子育ての際に「子供には無限の可能性がある」という表現を使う方がいます。
子供は育て方次第で、偉人にも凡人にもなる可能性があることを示唆する言葉です。
一方で、その反対は何か。
「大人に可能性はない。」とすべきか。
ふと思った時に考えてみました。
子供は無限の可能性の話
子供は無限の可能性がある。
子供が「こうありたい」「こうなりたい」に対し、子供の成長を支援していこう。
というのが教育関係の研究やブログなどの見解です。
モンテッソーリ教育という、医師のマリア・モンテッソーリ氏が考案した教育法では、「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てる」という見解で、「子どもの興味や発達段階を正しく理解し、子どもが触ってみたい、やってみたいと思う環境を適切に用意し、その環境と子どもを「提示」などによって結びつけ、子どもの自発的活動を促す」ことを提示しています。
わが子も、極力、「やりたい」を尊重し、可能な限り自由にチャレンジできるように環境を整えるようにしています。
子供でないメリットとデメリット
一方で、今日の本題は「大人の可能性」について。
「子供は無限の可能性がある」なら「大人」はどうなのか?
「大人は有限の可能性しかない」ものなのでしょうか。
個人的な見解では、「大人は大人で可能性を作ることが可能」と思っています。
大人は子供と違い、
●マイナス要素
・時間が制限されている(社会活動・生活・子育て等)
・体力が落ちてくる(60歳くらいまでは、あくまで20歳くらいと相対的に)
●プラス要素
・自分の得意・不得意分野を把握している
・何をすれば学べるかを知っている(知る方法がある)
・金銭面で無理しやすい(子供は少ない資本でやるしかない→今は手段は増えた)
という点があると思われます。
マイナス要素が強く影響する、例えば「スポーツ選手」などは30歳(大人になって)から目指すのは困難です。一方で、プラス要素である「金銭面」や「知識」を活用すれば、30代から始めても大成できる分野は多数あると思われます。
大人の「可能性」
そうすると、
「子供は無限の可能性がある」とするならば、「大人は」何にあたるのでしょうか。
どうやら、大人は「選んだ可能性を研磨する時期」なのかもしれません。
大人は、子供のように「無限の可能性」はありません。
一方で「可能性」を選択した後、今までの知識や蓄えなどのリソースを使用し、「より良いものに伸ばせる時期」なのかと思っています。
まとめ
今日は一言に尽きます。
「大人」は「可能性がない」のではなく、「可能性を絞った」状態。
自分の適性と知識、持っているリソースを上手に使い、「選択した可能性を伸ばすこと」。
子供を育てる意味で「子供は無限の可能性」と言っていますが、
大人も「無限に近い可能性」を持っています。
自信をもって、自分の選択肢にチャレンジしましょう。
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