スノー・ボール 第2章

リュウです。

第2章は、1999年にアイダホで行われた会議のシーンです。
アメリカ合衆国の北西にあり、ソルトレイクシティからおよそ400kmくらいの距離です。

会議には、有名な大富豪(コカ・コーラのCEOドナルド・キーオなど)がそろっており、
一般人の立ち入りが厳しく禁じられていたようです。

この章では、彼がしたスピーチについて語られています。

バフェットは昔スピーチが得意ではなかったそうですが、

デール・カーネギーのスピーチ教室で、
ユーモアがありテンポの良いスピーチをすることが出来るようになりました。

褒めるときは名指しし、批判するときは不特定多数を批判する。
というのがバフェットの鉄則であった。

そのスピーチは、刺激的なものであっても、相手を不快にさせるものではなかった。(P44)

彼は、聴いている相手がどう受け止めるかについて、
よく考えて発言しているようです。

ファンドマネージャーは、お金の運用がうまければなれるように思っていたのですが、
実際は、人の心を動かす会話、すなわち営業力が必要になってくるわけです。

私たちも、スピーチ教室にいって学ぶことが、
実は大きな経験になるのかもしれません。

ところで、1999年というと、
このころから2001年くらいまで、
インターネットバブルと呼ばれた世界的なバブルの時期です。

バフェットは、この頃にインターネット企業の株を、
ほとんど買わなかったことで有名です。

この章のスピーチではその話はなく、
わずかに語られているのがあったのみでしたが、
バフェット当人も、この頃のインターネットバブルについては気にはなっていたことでしょう。

しかし、彼は動きませんでした。

そして5年後に、
バブルで大きく稼いだ人と異なる結果を生み出すことになります。

第3章は、1999年パサデナ。
バフェットの相棒と同居の女性についてです。
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