リュウです。
今日は、所用で妹とランチへ。
今日は今日とて、悩み相談。
さて、本題。
金曜日に職場全体の飲み(厚生会)があり、他部署にいた同期と飲みました。
部署が離れているので、話をするのは久々。
独り身の頃、恋の相談などをしていた同期なので、そんな話もありました。
仕事の愚痴をたくさん聞けました。
その中の一つに、「上司に言われてきたことが部下に通じなくて困っている」、と。
現在の自分はひとり部署なので、教えられることはほぼ無かったものの、
「昔の常識を部下に教える方法がかつては通じたんだろうけど、今は通用しないよね。」とだけ伝えました。
家に帰りふと考えてみる。
この職場で、先輩方は、「過去のやり方を左から右」で通じていました。
しかしながら、今はその方法が通用しない。
若手に昔の手法で仕事を教えると、中長期休まれたり、離職されたりしているのを見てきています。
昔の指導方法が通じないのか、それとも、昔の指導方法が通じているように見えて実は上の世代も通じていなかったのか。
色々考えた上で、一つ仮説を立ててみました。
「氷河期世代より上の世代と、下の世代とで大きく会社へのイメージが変わったから」ではないか。
世代ネタは揉める原因なのですが、
今日は、「氷河期世代から見た別世代のサラリーマンの常識から後輩との仕事上の接し方」について考えてみました。
なお、私は1980年(今はあまり言われないけど松坂世代ですね。)です。
氷河期世代は(1970年~1983年)生まれに該当します。
ただ、院浪人、大学院とあわせて+3年、後れを取ったのでギリギリ氷河期、という世代だったりします。
※上白滝駅(北海道紋別郡遠軽町 2015.11)
氷河期世代は、決まった正職員の立場を手放せない状況だった。
上司には絶対服従のブラック企業も多かった時代です。
●もくじ
1 世代ごとの仕事に対する温度感
(1) 年上の世代
(2) 氷河期世代
(3) 年下の世代
2 氷河期世代はサラリーマンの人間関係の分岐点
3 では、どうするか
1 世代ごとの仕事に対する温度感
なんとなく感じていたこと。
氷河期より「年上の世代」(バブル以上)、
氷河期より「年下の世代」(プレッシャー世代・ゆとり世代)
で、会社・仕事に対するイメージが大幅に変わっている。
うまくいえないが、「従業員側から見た働き方改革」とでもいうべきか。
(1)年上の世代
年上の世代、いわゆるバブル期以前の世代。
現在の最年長はギリギリ団塊の世代がいる辺り(1949年が70歳ですし)。
会社経営者が好んで「家族的経営」なんて云う時代。
(家族的経営を謳う会社には、社員は兵隊であって家族ではないように思いますが。)
この世代の持つ、会社に対するイメージとしては、
体育会系、軍隊式、とことん会社に尽くす。
残業するものが偉い。
24時間戦うことが重要とされた時代。
絶対的な上下関係。能力とは関係ない。
上は下に対し無礼討ちして良い。
そうすれば会社が守ってくれる。
偉い立場になれる。
教育方法も、「俺らもそうやって育てられた」と言って不条理なことをしてもいい世代。
(若干誇張してますが)
個人的には、正直全員がそうではないものの、苦手な人が多い。
(2)氷河期世代
私はここ。(大学院に行っていたので回避しましたが、学部卒なら悪夢の2003年卒。)
団塊世代の子も多い。私もそれに含まれます。
しかしながら、団塊の世代の親と、上司の常識を押し付けられて窮屈な思いをした世代。
就職で優遇されていたバブル世代とも仲が悪いイメージ。
上の世代は、サラリーマンを勤め上げれば相応のリターンも得られた世代。
一方で氷河期になるとその常識が通じなくなり、
正職員採用の減少、それに伴う年功序列、定年まで勤めあげることの困難さが表面化した時代。
それにもかかわらず、上司世代は年功序列ルールが通用すると思っていて、「上下関係」を押し付ける。
我々の反論は通じず、仕事を辞めると再就職が困難な時代。
加えて、昭和生まれゆえに、
後輩からは、団塊の世代や昭和30年代辺りともひと括りにされ、「これだから昭和は老害」とカテゴライズされるのにも不快感を受けている。
(3)年下の世代
プレッシャー世代、ゆとり世代以降。
概ね平成生まれ。
自由な発想と、イヤなものはイヤと言える(ある意味素直な)世代。
この頃になると、正職で60歳(65歳)まで勤め上げることは、
「昭和時代の幻想」と把握している。
会社は、「家族的経営」なんてしてくれるとは思っていない。
年功序列なんて無い、年金も危うい。
だから無駄使い(家・結婚(子供)・車)は、かなり慎重になる。
老人方は若者の○○離れというが、単にお金が若者から離れてしまった副作用である。
不要なら持たない・しない。
この世代にとって、会社は生活の糧である(サラリーをくれる)が、イヤならば素直に休み、辞めることができると考える。
氷河期と違って、採用枠も多かったのも相まって、次が決まることも強みだったのかもしれない。
2 氷河期世代はサラリーマンの人間関係の分岐点
(1)から(3)のとおり、氷河期世代から見た上の世代と下の世代では、日本の会社に対するイメージが全然違う。
氷河期世代は、これらの狭間なわけです。
「会社に尽くし、会社と上司に感謝せよ。」という上司。
「自分を大切にする、自分のためになるかを判断して就業する。」という後輩がいるわけです。
上述の通り、氷河期世代が若手の頃は、仕事が少なく、就職できたひとも辞めることがハイリスクな社会であったため、会社から逃げづらい。
ゆえに上司の教えは絶対服従だったといえます。
一方で、後輩に対しては、「俺はこういう目に遭わされたから、後輩にもこういう目に合わす」と考えていたら、
きっと休むか辞めるかされてしまうでしょう。
「では、氷河期だってどっちなんだ。」
と思う方もいると思います。
氷河期世代は、それより上の世代の正職員を守るために、正職員採用がものすごく制限された時代です。
(大き目法人や官公庁の採用などをみると、中の世代が抜けてしまっていることが分かります。)
正職員が非常に少なく、正職員の就職タイミングが遅れて(出来なかったも含め)いる人も多い。
そのため境界線が曖昧だったりする。
氷河期初期に近ければバブルに近い価値観で、
氷河期終期に近ければプレッシャー・ゆとり世代に近い感覚になってきます。
恐らく、
氷河期世代の新卒採用が長く続き、新卒雇用の数が不連続になったことにより、
会社に対する考え方(会社が従業員を守るなんて幻想であるという思想に)を変えたのだと思います。
会社組織が従業員(サラリーマン)に対する信頼を失った時期なのかもしれません。
3 では、どうするか
これらの視点から、氷河期世代が上司として、後輩に仕事を教えるとき、どうすべきなのだろうか。
軍隊式で育てられたのに、軍隊式で教育しようものなら、休まれる、辞められる。
いわば、上司とは野球の練習をしてきたのに、本番ではサッカーの試合をさせられる状態です。
無策で挑んでもうまく行きません。
そこで、やむを得ない。
氷河期世代は、「上司の教えを捨てる覚悟が必要」と考えます。
「なぜあいつらは言うことを聞かないんだ。俺らの頃は・・・」
これ、やめましょう。
昔の常識をあてはめると、あわせてくれる後輩でなければまず失敗します。
他にも、
・会社の方針に従え
・上下関係に従え
・(旧来の)礼儀を守れ
・これは(昔からやってきた)しきたり(ルール)だ
このあたりも、きっと反発を生むだけだと思う。
そういう時代じゃないんです。
下手すれば、パワハラに当てはまったりするようです。
もう少し広く考えていかないといけません。
そこで、人付き合いの定義に立ち返る。
全ての世代に通じる最大公約数。
「相手に対してメリットになるか」を突き詰めて後輩と接すること。
・あの人は仕事が出来ると思われる(仕事上メリットがある)
・あの人の通りにやると(しきたりどおりより)仕事がラクに済む
・職場の年数や年齢による上下関係は無意味
このあたりに留意してないと、自分より年下の世代に逃げられます。
ある意味で、合理的な時代になったのかもしれません。
古い職場は、未だに上下関係や、能力やスキルとは関係ない社内調整出来る人が評価されるようですが、
これらも徐々に淘汰されてくると思います。
●まとめ
重要なのは3点
1 氷河期世代より上と、より下の世代は会社(仕事)に対する考え方が大きく変わった
2 氷河期世代より上の上司の常識を切り捨てるべき
3 会社で人に接するときは合理性(メリット)に訴えかける
氷河期世代は、不条理を押し付けられているのに、不条理を押し付けることが出来ない可哀想な世代だったりします。
逆に言えば、氷河期より古い世代は、部下の意向を無視して古い常識を押し付けることが出来たのでその方法から抜け出しにくい。
一方で、氷河期世代は、古い世代の会社の常識とともに、新世代の会社の常識を活用できる世代であるメリットも持ち合わせることが可能です。(古い世代の常識が必要かどうかはさておき。)
もっとも、本来は、それをするために30代後半から40台中盤くらいまでの人材を10年前から育てるべき(要は無能なバブルの正職を減らして、氷河期のを採用すべき)だったんですけどね。
正直、今我が国が行き詰まっているのは、上のサラリーマンを守るために氷河期世代だけに労働者の人口の穴を開けてしまったことだと思います。
こういう不遇な目に遭わされた氷河期世代の一人として、一言。
私は同世代として、「氷河期世代の味方」でありたいと思っています。
独立したらできることはないものか、考える日々です。
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