「お金があるから幸せとは限らない」という言葉に対しての疑問

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今週から土曜、日曜のどちらかに更新をしていければと思います。

仕事が多忙だったため、今回のテーマはのんびり。
「お金」そのものについて考えてみることとしました。

この国では、「お金」を稼ぐことに「ダーティ」(又は「悪」)なイメージを持っているように思います。そして「清貧であることを良しとする風潮」があるように思います。

しかし、実際そんなものなのか。
「お金を稼ぐこと」、「お金を使うこと」について、少し考えてみることにしました。

無くてもあっても困るもの、それがお金・・・なのかもしれない。

清貧という言葉に対する疑問

「清貧」という言葉。
「貧乏だが、心が清らかで行ないが潔白であること」という意味です。(コトバンク)

清貧(せいひん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
精選版 日本国語大辞典 - 清貧の用語解説 - 〘名〙 貧乏だが、心が清らかで行ないが潔白であること。余分を求めず、貧乏に安んじていること。※文徳実録‐仁寿二年(851)一二月癸未「家素清貧。事レ母至孝。公俸所レ当。皆施二親友一」※貞享版沙石集(1283)八「清貧は常に楽しみ、濁富は...
「心が清い」というのは一種の哲学だと思います。簡単に定義できるものではありません。

一部の方はこの意味を曲解して、「裕福な人は心が清らかでない」という見方をする人がいます。

本来は上述の通り、貧乏「だが」心が清らか。であることです。

「貧乏でも心が清らか」でない人もいるし、
当然、「裕福でも心が清らか」な人もいるわけです。

また、「心が清い」というのも主観的なものを感じます。
複数サイトにみる見解だと、心が「濁っていない・澄んでいる」ことを意味するようです。

ただ、これはお金持ちであるかどうかは問わないように思います。

例えば、諸外国では、大金持ちの多くは寄付をします。
日本の富裕層には寄付はあまり根付いている印象はありません。

バフェット氏などは最終的に資産の99%、数兆円相当の株式を慈善単体に寄付することを予定しています。

彼らは寄付をすれば、(相対的に)貧しくなります。
彼らは「心が清い」のでしょうか。

結局は、お金の有無ではなく「心の持ちよう」なのだと思います。

お金は「相手からの感謝の数」と捉える

個人的には、お金は「相手からの感謝の数」と捉えています。

感謝の大きさの表現が「お金」として現れる。

 ・果物や野菜を作って、食を潤すことで感謝される
 ・高性能のPCやAI、宇宙開発など技術を発明して感謝される
 ・専門技術の代行、配車、宅配、良いサービスを提供して感謝される

このような感謝(経済的な価値)がお金に繋がるのかなと思っています。
ともすれば、お金を稼ぐことは「心が濁っている」のでしょうか。

また、(株式)投資はどうでしょうか。
投資も「お金(資本)を提供し、事業を活性化させること」で感謝されます。

いずれの行動も「お金を手にすることを悪」と捉えるのは少し違うのではないか、と思っています。

また、お金を使うことも同様、「相手への感謝を数値化したもの」と考えます。

「お金で物事を解決する」ということを良くないイメージで捉える方もいますが、「相手へ感謝の大きさ」をお金で表現するならば、「感謝の表現の一つ」ではないかと思うのです。

人を助けてもらって、「感謝の言葉だけで終わらせる人」「感謝し、対価を支払う人」の違いを考えれば見えてくるものがあります。

「お金があるから幸せではない」は正しいか。

お金があるからと言って幸せとは限らない。
よく使いこまれた言葉です。

お金があっても、無くても、幸せじゃないときは幸せじゃないものです。

部分的には正しいとは思います。
「お金と幸せは連動しているわけではありません。」

一方で、そんなお金持ちの方々が「資産」と「お金の稼げる環境」の両方を失って、現代社会で生活することが出来るでしょうか。(資産が無くても稼げる人は稼げるので、稼げる環境そのものが無くなるものとして考えます。)

例えば、今日から、

 ・外で寝泊まり
 ・着替えの服は無し
 ・食事は1日1回

ということを強いられるような状況になったら・・・。

もう少し生活レベルが高くても、
 
 ・朝5時起き、6時には家を出る
 ・満員電車に乗り
 ・不条理なお客さんや業務に悩み
 ・尽くした組織に使い捨てられる

ような人は、わが国でも多数いると思います。
(私もその一人かもしれません。)

「お金があっても解決できないこと」がある一方で、「お金があれば解決できたこと」も多くあります。お金で解決できることはお金で解決するのも一つの答えだと思っています。

まとめ

今後、投資や事業でお金を稼ぐうえで、一度向き合っておきたかった「お金」の在り方。

お金を稼ぐこと、使うことは悪いことでもなんでもありません。
大事なのは3点。

 ・「清貧」は「貧しくても心が清い人」で、「裕福でも心が清い人」は多数いる
 ・お金は「感謝の数」
 ・お金=幸せではないが、無いと解決できない事も多くある

大学時代に下宿代すらアルバイトで穴埋めしてた自分にとって、
友人らが飲みに出かけたりサークルの合宿で遠くに出かけていたのを「家庭の事情で行けない」などと言い訳をして羨んでいた頃を思い出します。

つまるところ、

「全ての幸せをお金で買えるわけではない」

でも、

「生きるために、お金はあるに越したことはない」

と捉えるべきなのかもしれません。

お金はあればあったで困りません。
お金で解決できることなら解決してしまうのも一つです。
(ありすぎると、本人が意図しない状況で周囲との争いごとなどに巻き込まれる不幸はあるのかもしれませんが。)

お金は、そんなにダーティなものではないのです。
「清貧」という言葉に拘り過ぎず、しっかりと「感謝されることをして」稼げばよいのです。

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