今日は妹の結婚式です。
これから出立します。
万一、無茶振りされたときのことを考えて、話すことをまとめなければいけませんね。
さて、本題。
最近、株式投資に関して怒りっぽい方が増えた気がします。
心が狭いのか、栄養が足りないのか、ちょっとしたことでけんか腰になり、ギスギスした空気が漂っています。
これは、日常やネット問わず見られる光景になりました。
「貧すれば鈍する」
絶対ではないものの、悲しいことにお金の貧しさが心の貧しさに繋がることがあります。
最近の日本の経済力は世界的にみて凋落してきており、その金銭的な貧しさが段々と日本人の心を蝕んでいるように思えてきました。
今日は、「お金の貧しさと心の貧しさ」について、考えてみたいと思います。
目次
突然とんだ怒号
今週、所用で横浜市内のある場所を歩いていました。
横浜市といっても中心地のようなにぎやかな場所ではなく、住宅街で周りにあまり人がいない、のんびりしたエリアです。
そんなエリアの角地の駐車場、丁度こんな道でした。
矢印のように横切ろうとしたんですね。
すると、
「お前、そこで何をしているんだ!」
と怒号が飛んだ。
一瞬モヤっとはしたものはあったのですが、地主さんの敷地であることは間違いない。
謝罪の上、ナナメ横断はやめて市道を通行。
私が通るときの地主さんの姿は、私を親の仇と見るかのような睨み付け方でした。
このときにSNSなどで、
「おじさん、心が狭いな。」
とつぶやいて賛否を呼びたいだけ(私も私有地に入っていて、相手が悪いと言える立場ではないため。)ならばTwitterに書きます。ブログに書きません。
今回は、ふと自分が子供の頃(2~30年くらい前)に、こんな目に遭ったかなぁと思っていました。そして、「なんで、怒る気持ちになるのか」を相手の視点でちょっと考えてみました。
そこには「日本の凋落」や「お金の貧しさと心の貧しさ」などが入り混じった感情のように思えたのです。
相手側の怒りの視点に立ってみる
(1)私が横切るデメリット
相手の視点で怒る理由を考えてみる。
私が横切ることで地主さんが受けるデメリットがあるかもしれない。
・設備が壊れる・汚れる
→ 横断した程度でどうなるものではない
・駐車場利用者等の邪魔
→ 周辺に車の気配さえない
つまるところ、これくらいしか浮かばないんですよね。
駐車するとボードが上がるタイプのものだったので、機械の上に乗ってるのをみれば破壊される危険性があるのでオーナーとしては嫌な気持ちになると思います。
また、アパートなどの居住用の敷地だったり、座り込んでタバコを吸い、灰を路上に捨てているようなケースも怒るのはもっともです。
逆に言えば、デメリットこれくらいしか思いつかないのです。
したがって、合理的な面では私に怒号を飛ばすだけ意味を成さない。
むしろ、こんなご時世なので、「怒り狂った姿を録画されて、オーナーや管理会社の名前がネットに晒される危険」すらあり(ちなみに管理会社は、帰ったあとにGoogleMAPで確認できました。)、視聴者が仮に「強者が弱者に攻撃している図式と捉えた」ら、管理会社・地主共にイメージを悪くし、信頼を落とす可能性すらあります。
(2)感情面での不満
合理的でないなら、感情面でアプローチしてみます。
相手の感情は当然自分が知りえないので仮説です。
・その駐車場には10台弱の駐車が可能
・怒りをぶつけた地主(管理者さん?)以外の車両が止まっていない
・地主は使用状態(収益)を確認しに来たかも
・でもガラガラ、収益が全然ない
・あー、ムカつく!
・そこを横切る不届き者
→「おい、お前!」
と、怒りをぶつけたと考えてみるとどうだろう。
あくまで仮説ですが、怒る原因になるかもしれません。
例えば、儲かって儲かってホクホクの状態で人が横切った。
(鬱陶しいな、でも放っておこう。)くらいになったのではないでしょうか。
とはいえ「単に心が狭いだけ」とか、「たまたま機嫌が悪かっただけ」とかが理由かもしれないのですが。
貧すれば鈍する
(1)昔はどんなだったっけ?
今も昔も、こういう私有地の通行をシビアに観る方はいます。
とはいえ、ドラえもん(原作が1970年頃から)で、みんなが遊ぶ空き地は私有地(設定上23区(練馬区)だったはず)です。
でも、のび太たちが遊んでいて、
「ここはうちの敷地だからお前らでてけ!」
と言われるシーンは、ほぼありません。(皆無ではなかったかも。)
実際にそんなことが気にならない時代だったのでしょう。
(2)怒りの理由は些細な所に・・・
今回のシチュエーション。
たまたま「初めて」通行した「他者(周囲の関係者ではない人)」に、注意ではなく「怒り」で対応する世の中であることに危険を感じました。
怒号を受けた後、少し考えて周りを見渡すとふと、
「そういえばこの辺りの駐車場ってガラガラだな・・・」
休日に歩くとまた事情が異なるのかもしれませんが、駐車場が殆ど未使用。
ちっともお金になりません。(駐車場の数から、昔は入っていたかもしれない。)
不動産収入を得るために家を潰して駐車場にした。
(GoogleMapを見る限り数年前には家が建っていたのか航空写真では家屋あり、でもストリートビューでは駐車場。)
でもちっともお金が入らない。
「こんなはずでは・・・。」
そんな地主の嘆きが「他人への攻撃」という形になって現れたと思えます。
最近国内で、こういう「攻撃的な人」が増えたような気がします。
・自分の作品をパクられたと思った
・養子縁組を解消されそうになったと思った
・タメ口を言われた
これらは「人を殺した理由」です。
過去10年以内にあった事件(大体わかるかと思いますが)で、しかも本人と無関係の他者をいたぶるような事件もあります。
残虐な事件を行っている人の動機は、小さい頃の壮絶な家族環境などの不幸を想像するところですが、最近は「勘違い」や「ちょっとしたショック」でカッとしたことが原因になることも少なくありません。
(3)貧すれば鈍する
こんな怖い世の中の原因はなんなのでしょうか。
個人的には、段々と世界と比べ日本が相対的に貧しくなったことが一つの理由なのではないかと思えてきました。
「貧すれば鈍する」
意味は、「貧乏になるとその性質や頭の働きまでも愚鈍になる。 また、貧乏するとさもしい心をもつようになる」ことです。(weblio辞書 貧すれば鈍する)
最近、2020年頃から流行していた米国株の相場が急落、Twitterの環境も何となくムードが悪くなってきています。これまでは発言や投資法の情報共有について寛容な空気だったのが、2021年4四半期頃から相場が悪くなるにつれて、
・意見箱に大量に批判意見
・インフルエンサーさんが別の人を攻撃するツイート
・高給取りへのやっかみ(入金力の話など)ツイート
・自己の集団(クラスタ)外の人への攻撃
一例ですが、このようなツイートが昨年秋くらいから緩やかに増えてきました。
また、不幸なことに、受けた攻撃に対して本人も反撃せざるを得ず、ギスギスした空気が流れます。
貧しさが人の心の余裕を奪い、心を荒ませ、攻撃的な人を生み出しているのかもしれません。
そして、それが凶器となり、他者の命を奪うような結果になればとても悲しいことです。
つまるところ、「貧しさは敵」なのかもしれない。
せめて、金銭的に豊かな環境になっていけば、幸せと感じられるような環境が周囲に生まれるかもしれない。
まとめ
今日のは、利益のあることが書けなかったのですが、感じ入る最近の日本国内の閉塞感。
そして貧しさから来る心の闇、今感じているこれらへの想いを残しておきたかった次第です。
普段まともで、冷静な判断をできる人ですら、金銭的に貧しくなることで心も貧しくなることがある姿を最近、複数目にしました。
30年間給与がほとんど伸びなかったと言われている日本。
長期間の停滞で、世界から相対的に置いていかれつつあります。
多少凋落しても、最低限は食える時代は当面続くと思います。
とはいえ、国民一人一人は自分のことで手一杯、余裕の無さから他人の幸せや発言に憎しみを抱き、時に攻撃を行う。他者への気遣いなどは夢のまた夢。オリンピックの「おもてなし」という日本の長所も近い未来、過去のものとなるかもしれません。
北斗の拳みたいな世界にでもなってしまうんだろうか。
もっと平和で優しい国だった言えるようにありたい。
ここで個々人で奮い立たせなければ、今後も良くなる見込みはないでしょう。
そのような支援ができるような仕事をしていきたいものです。
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