僕らは結局「社畜」である。(さらば出向!)

リュウです。
 

今日の夕方まで、妻と娘が実家に帰っているので、久々にのんびり出来そうです。
片付けと、4月からの準備と、リストにしてあるベトナム株の銘柄を精査する時間に充てましょう。

さて、本題。

 

サラリーマンという職業(「職業」と敢えて書きます。)を、「社畜」と表現する人がいます。
あまり表現的には好きでない言葉では有りますが、(少なくとも日本の)多くのサラリーマンを言い当てている言葉です。

「社畜」とは、「主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。」とのこと。 (※Wikipedia)

まあ、「自分の意思と良心を放棄」というのに若干違和感がありますが、私も、結局会社の指示で従うのだから、「社畜」の一人なのでしょう。
 

そんな「社畜の立場としての自分と、結局どうすればよいか」を今日は考えてみようかと。


※さらば、横須賀!(2019.3)

 実家が横須賀なので何度も行くけど。

●もくじ
1.出向、行く時と帰るときの背景
2.私達は「社畜」である
3.「社畜」であってもやっておくべきこと3つ

4.まとめ

1.行く時と帰るときの背景
1年間、出向元の上部団体(と、一応しておきましょう。厳密には親会社などでは有りません。)へ出向していました。

もともとは2年間だったのが1年間に変更。

 

1年間の過ごし方は、良くも悪くも色々有り無事終わったわけですが、出向の制度的に例外的なことが多発して、振り回された1年でした。

①出向概要
今回の出向は、出向元の上部団体に2年間人事交流で行くもので、基本的にはキャリアパスのため出向を希望する人を対象に選定されるものでした。

私は、元の部署でまだまだ鍛えたかったのと、妻復帰、娘が保育園に通いだすという不安定な時期なので特には希望していませんでした。

②不条理に行くことに・・・
上述の通り、特に出向を希望していなかったのですが、
2月のある日・・・・、

「リュウ君に出向してほしいと思っている。」

と打診が・・・。

人事課長と、人事部長と3人で面接。

人事課長「君にはぜひ行ってもらいたいのだよ」
自分「さすがに勘弁してください、妻が復帰して0歳の娘を保育園に通わせ始める今はとてもきついです。
たしか、上部機関への出向は、希望者だけの制度と明確にありませんでしたっけ。」
人事課長「(そこには触れず)基本的に人事なので拒否すべきではない。
親族の介護ならやむをえないが・・・
自分「 」

子育てに手厚い職場を作るとか、職場のどっかに旗印に書いてあったような気がしたんだが・・・。色々まずくないか。

こういう、表の組織目標と、実際の組織行動が逆方向なのも、(日本の?)悪しき習慣だと思う次第。

後に、どうやら行かせる予定だった人が療養休暇で休んで欠員が出たこと、どうやら拒否は出来たことを知るが既に時遅し。

 

しかも、「積極的に出向を希望した」扱いになってるんですよ、対外的には。

なんだかなぁ・・・。

③そして、不条理に帰る
行った先で学びたいことがなかったわけではないので、家庭の事情(特に娘の保育園に慣れるまで)がなければ参加はやむをえないとは思っていました。

娘の件は幸い保育園になじんで、遅刻無く出社できたので「結果的に問題なし」だったのですが、当初は不安要素が多数有りすぎてかなりストレスでした。
 

現地では良いこと、悪いことがバランスよくあったので運が良かったと思います。

2年間という期間が設定されているのは、2年目に実務に活かす為に準備されているのかと思っていました。

ところが、8月のある日・・・、
出向元に月1回の報告に行った時のこと。

人事担当「出向先から連絡が有り、やむをえない事情で、交流でこちらに来ている人が戻ることになった。
一応、リュウさんには戻らない選択肢はあるのですが、人員が1名減る状態になるので戻ってきてくれませんか。」

と。

 

選べるとかいいながらも、選べない仕様なんですよね。

3人しか居ない部署を2名でまわすのは実質無理な規模だろうし。

 

結局、戻ることにしました。

なんだかなぁ・・・。

2.我々は「社畜」である
我々「社畜」(まぁ、企業戦士でも何でもいいや)は、会社に従い行動することでサラリーを受け取ります。

「意見」くらいは言えるのでしょうが、結局、「担当レベルので決定権は、ほぼ無い」といっても良いでしょう。

ただ、決定権が無いにしても、やれることはいくつか有ります。
次に、やれることを整理していきます。

3.「社畜」であってもやっておくべきこと3つ
我々「社畜」という状態では有りますが、サラリーをもらう、「人間」であることを忘れてはいけません、断じて「家畜」ではない。

少なくとも、自分は認めません。
 

そこで重要な3つのすべきこと。

「独立の意思をもつ」「いつでも逃げる準備をしておく」「今をアウトプットしておく」です。

①「独立の意思をもつ」
「社畜」ゆえ、自分が会社に「飼われている」状態ともいえます。
しかし、それ故に言いなりであり、いつ「出荷」、つまりはリストラなどをされてしまうかわからない状態にあります。

自分は社員だが、自分の意志で動いている。
常に、そういった「独立の意思」をもつべきだと思います。

そうすることで、あくまでこの団体にいるのは自分の意思、自分のためになることをしているために選んでいる、

と判断することで、社畜として団体からコントロールされることを防ぐことが出来ると考えます。

 

②「いつでも逃げる準備をしておく」
「出荷」が決まってから準備をしても既に遅いです。
「出荷」もそうですが、「飼い主が倒れる(例えば倒産)」ことも想定されます。

辞める事由により、雇用保険等で多少カバーされる部分はあるかもしれませんが、一生モノでは有りません。

(せいぜい270日くらいだったかと思います。不条理に辞めて次の仕事に就けなくても1年も保証してくれません。)

概ねどの団体でも、団体で必要な知識や人脈は、所属する団体から追い出されたら使えなくなるものも多いです。

(外部に行っても通じる万能なものは、「営業スキル」「専門性の高い知識」、そして「体力の要る仕事」くらいだと思います)

資格や事業で必要な知識、外部の人脈、自己資金等(融資環境なども)を準備して、いつでも逃げられる態勢を整えておくことです。

③「今をアウトプットしておく」
このブログもそうですが、そういう不条理、経験、知識などを「アウトプット」しておきましょう。
「残すことも重要」ですが、「その時の思考を書き出すことが重要」になります。

立場が変わると考え方が変わります。
私が仮に税理士として独立する段階になったら、今のことが抜け落ちて失敗をしてしまうかもしれません。

だからこそ、書き出し、残す必要があるのです。

社畜時代の想いは、ブログに記事にしないまでもログとしてアウトプットしています。
きっと独立したら書いたり、セミナーで語ることになるでしょう(笑)

また、アウトプットすると、自分がどういうところで悩んでいるか、どういうところを改善するかを客観的に見直すことが可能です。

10年後に、今日のブログを見返したら、違う発見があるかもしれませんね。

 

4.まとめ
3月末日が最終日のため、昨日色々お祝いを頂いたり、挨拶をさせていただいたりしました。
出向先の定年の人も同時に挨拶をしたので、「退職する時ってこんな感じなのかもな」、と思いました。

 

お祝いはしてくれるものの、なんとなく組織の次の体制のために動いている。

社員をねじとするならば、次のねじをどうあてはめて組織を動かすかを考えていますし、組織にいる以上、考えるしかないのです。

仮に今の職場で60歳定年(政府の方針などを見ていると65歳になってるかもしれません)まで残れるとして、60歳まで残って幸せかどうかはわかりません。そもそも60歳まで残れない事だって多々想定される時代です。

でも、組織に所属する以上、結局「社畜」という立場から出られないと思います。
ただ私は、「何か違うなぁ。」と思っています。

これは人により、そう思う人も思わない人もいるかと。

ただ、私としては違うと思っているからこそ、「独立したい」と思っています。
「働かないですむ道」も模索するかもしれませんが。)

ゴールは「脱社畜」
自分で決定権を持ち、自分で力強く生きていくための、「力(スキル・発言力)」「人脈」「資産」を作り上げて行こうと思います。

翌年度は、独立の視点を維持しながら仕事を進めて行きたいと思います。
さらに良い年度にしていきましょう。

では。

 

 

なお、今日のブログでは、「社畜」という言葉が合うと思ったので使いましたが、基本的にはあまり好きではない言葉なので、今後は使わないようにしたいものです。

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