リュウです。
今日は第41章。
いよいよ別居が始まります。
久々に読んだので失念していましたが、
スージーとバフェットの関係がこうなった引き金は、
やはりキャサリン・グラハムとの関係でした。
それ以外の前提もあるのですが、
思うところがあったのは間違いありません。
外的には(おそらく実際も)友人としてくらいの関係だったのでしょうが、
ただ献身的に尽くしてきたスージーにとっては重い出来事だった。
そして、子供たちも独立し、
アストリッドという女性を見つけ出すこともできた。
歌も歌いたいし、そろそろ自由なことをしたいと感じていたのでしょう。
第40章までの様子を見る限り、
バフェットは、スージーのことより、仕事のことが夢中でした。
書かれている紙面の比を考えれば明らかなことです。
そして、バフェットは大事な人との「時」を失います。
以降、バフェットとスージーは同居することはないのですが、
離婚することもありませんでした。
「ウォーレンも私も、なにひとつ失いたくないの」(P75)
資産だけで言うのならば、
別れて切り売りしても十分異常な生活できました。
彼女は前編のラストに書かれていたように、
2.5%のバークシャーの株式を持っています。
(2011年現在だったら、数千億円の資産となります)
では、なぜ別れなかったのか。
それは、おそらく「心」の部分が大きいかと思います。
スージーが離婚していたのなら、
おそらくバフェットは壊れていただろうし、
世界一の大富豪になることもできなかったと思います。
スージー自身も、その性格から、
バフェットに対して一生後悔することになったのでしょう。
別居という道は、
互いに共存するため(バフェットは投資、スージーは歌や慈善活動をする)に、
残された最後の手段だったのです。
アストリッドという女性にバフェットを託したあたり、
スージーの性格が現れています。
さて、どうすればスージーとの別居を避けられたものでしょうか。
おそらく、不実な行為をしていたならまだしも、
そんなに難しいものではなかったのだと思います。
スージーを見て、理解してあげられれば避けられたのではないでしょうか。
バフェットは自分を理解してくれる女性を求め、そして、スージーはそれを果たしています。
しかし逆に、スージーにそれができていたか。
難しいところです。
どちらにせよ、
ここから30年近い別居が始まります。
外から見ると完璧ともいえるバフェットの人生ゆえに、
この事件は彼にとって、最大の試練だったに違いありません。
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