オリンピックに観て思う「世界の中の日本」

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連休はいつになくゆっくりしています。
若干、将来に向け、資料を準備する必要がありますがその程度。

来週以降がんばって行こうと思います。

さて、ブログも休まないまでもゆるい記事。
オリンピック開会式を観ていました。

開会式の前はテレビすらつけていませんでしたが、気が向いたので観てみることに。
観てみて思うのが、「残った人と、残された状況でがんばっている姿」に心を打たれました。

次回の自国の開催はもしかしたら無いかもしれない。

仮に次回、56年後に開催できたとしても私は90代、娘が60代。
そう思うと、一度は観ておきたいと思いテレビを付けました。

世界の殆どの国の人が入場する開会式は世界が一つになった瞬間で感動します。

開会式

他国のオープニングセレモニーを観ることすら殆どなかった自分ですが、
開催国としてオリンピックを二度と見ることはないかもと思い、観てみることにしました。

行進のゲームソングとドローンで映す地球が印象的(後者は必見)でした。
あとの演出は、既視感のあるものが多くそういった点で広告代理店に頼る演出には限界を感じました。

とはいえ、現在の日本に残されていた世界に誇れるものを目いっぱい出しているようにも思えた。

逆風の中のイベント

2013年に東京に2度目のオリンピックが開催されることが決まってから8年。
モヤモヤすることは多数あった。

 ・無駄な箱物の乱立
 ・増大する費用と国費・都民税などの拠出
 ・税金を拠出しても国民に当選しないチケット
 ・印象が悪くなったら潮が引くように逃げた芸能系の支援者たち
 ・視聴率を考慮したのか前回と異なる不自然な季節の開催
 ・コロナ感染症に対するJOC・IOCの対応
 ・不自然な人選と不祥事による辞退

総じて、何兆円ものお金を投じて、特定の人たちの利益につながる不自然な行為が露骨に目につき、マイナス面ばかり露出しました。

そして、色々な方の辞任劇。
お金をもらいおわったら、責任から逃げた多数の人。
結果、逃げずに残った人がイベントを作って行ったように思います。

お金をかけたのに、モノをいっぱい作ったのに、人をいっぱい集めたのに、
風向きが悪くなった瞬間に支援者はみんな逃げ、コロナのせいで観戦者すら呼べませんでした。

たくさんのモヤモヤしたものを感じ、それを無理やり進めた中の逆風。

全てを失った中でのイベント。

観戦者に限っては新型コロナウイルス感染症はやむをえませんですが、皮肉にも56年前(57年前)の活気づいていた日本と、今の日本の凋落を対比しているように感じられたのです。

すべてが失われてから見える景色

同じくらい後、56年後(55年後)の日本。

今もかろうじて世界3位の経済国といえるが、EUなどを一つの経済圏と捉えると世界的な経済力もっと低いでしょう。
世界2位の経済大国、1位を目指そうとしていた輝かしい時期は既に終わり、苦境の時代に入ると思います。

人口減、少子高齢化、相対的な技術の衰退、生産力の停滞、給与の相対的な下落、特定の人への優遇と差別。
新型コロナウイルスによる価値観の変化も相まって、日本の世界的な地位はもっと下がるかもしれません。

ただ、一度行きつくところまで行ってみると発見があるかもしれない。

国力は、国民が強くなろうとしないと強くなることができない。
政治も、国民が変わろうとしないと変えられない。

次に我が国にオリンピックが開かれるとき、生きて観ることが出来たら、その変化を見届けたい。

また、今回の大会で開催まで残った人、残った選手、残った社会。
ここからも得るものがあると思っています。

これだけ苦しい状況の中で、大会を成功させれば世界の中の日本という国が再評価されると思う。

この大会を終えた時、そこからが本当の復興の始まりです。

まとめ

憂いても仕方ないことだとわかるのですが、今回のオリンピックは本当につらい着地点でした。

税金を湯水のごとく使い、
海外から伝染病が広まり、
印象や立場が悪くなった人は逃げ、
一般国民は観戦チケットすらもらえない。
そしてチケットをもらえた人すら観戦できない。

全てを失った中の開催日でした。

日本と選手の姿をスポーツを通じて見届け、はるか先の次回開催に明るい自国を想像したいと思う。
競技も楽しみにしたい。

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