リュウです。
第24章は、「成長したバフェットのパートナーシップ」についてといったところでしょうか。
自分の言いたいことをしっかりと言えるくらい、
バフェットのパートナーシップは大きくなりました。
1958年時、
バフェットはすでに100万ドル規模、
(おそらく現在の物価だと1000万ドルくらい?)のお金を動かしていました。
この章では、ついにブチ切れるバフェットがみられます。
彼らしさのあるシーンがありました。
舞台はサンボーン社。
アメリカ全ての都市の送電線や建築、避難階段の情報を詳細に記載した地図をつくり、
主に保険会社に販売していた会社です。
事業の先行きは明るくなかったが、割安で売っていたため、
パートナーシップの資産3分の1(サンボーン社の株式の30%?)を投資していた。
ここの取締役会が、ゴルフこそ無いものの仲良し会議のような感じで進み、
自社株買いという厄介ごとを避けるため、200万ドルの税金を払うと言うのです。
ましてや、バフェットが吸わない葉巻を、
会議中みんなに配っている様子を見てバフェットはブチ切れます。
バフェットは意見を投げます。
「そこで私はこう言った。
(税金のことは甘んじて受け入れましょう。と取締役が言ったことに対して、)
“ちょっと待ってください―受け入れましょう(レッツ・スワロー)のれっつは、
レットアス(Let us)の略だが、このアス(us)は誰をさすんでしょうか。
ここにいる全員が頭割りで払うのならかまわないが、
保有株の割合に応じてと言うことを意味していて、
あなたがたが10株分の税を払い、
私が2万4千株分の税を払うという意味なら断じて認めませんよ。”
(取締役会の方々は10株程度の株式しか持っていなかったため)
その男は、自社株買いと言う厄介なことを避けたいから、
200万ドルもの税金を受け入れようと言ったんだ。
葉巻が配られる光景は、今でも覚えているよ。
あの葉巻の1本1本の代金の30%を私が払っていた計算になるんだ。
葉巻を吸わないのは私だけだった。
連中も私の風船ガムの代金の3分の1を払うべきだった。(P375)」
かつてのバフェットが屈辱を味合わされた、
クリーブランズ紡績(第19章)での、
聞く耳を持たない取締役達に対して、怒りを抑えていた時とは違うようです。
「たかが会議の葉巻代で・・・?」
人によってはこれを守銭奴と言うのかもしれません。
しかし、私はバフェットの意見に賛成です。
確かに自分のお金をどのように使おうかは自由です。
しかしながら、
他人のお金を動かす経営陣やファンドマネージャーは、
そのお金に対して「責任」を持たないといけないわけです。
これはプロとして当然の考え方と言えるでしょう。
ことの顛末ですが、
200万ドルの税金を受け入れようとした流れを断ち切って、
取締役会の意見を変え、自社株買いを行うことに成功しました。
さて、このころのバフェットのパートナーシップの状況ですが、
バフェットはこの時点で一定の運用規模と、運用成績を残していて、
あたらなるパートナーを探すことをしていませんでした。
人づてにバフェットの評判が広まり、
バフェットに運用してもらうよう、8000ドル以上の資産を持ち、
自分たちで提案していかなければならなかったようです。
30歳前の若きバフェットは、
もうこの時点で一流のファンドマネージャーになっていたのだと思います。
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