寝そべり族に感じる閉塞感

起業・独立・マインド

今日は、娘とある資料を取りに実家へ。
最近、興味がある分野の資料。
これを独立のきっかけにできたら嬉しいものですが、今のところは種まきの段階。

さて、本題。
友人の後輩のFさんと投資等の話で時々盛り上がるのですが、彼が時々、

「程々給料をもらえてラクな部署に行きたい」

と言っている姿を見ます。

当初は、これらに違和感を覚えていました。

しかし、ある時2021年に中国で流行した「寝そべり主義(躺平主義)」という言葉に関連付けることで、何となく納得することができました。

今日は、そんな「寝そべり主義」について考えてみようかと思います。

「スマホを観てゴロゴロできれば、一生懸命生きる必要はない」という生き方を批判できないと思える閉塞感のある世界。

知り合いの後輩に感じた「寝そべり主義」

同業(友人の後輩)のFさんは事務員をしている30代前半の方です。

投資に興味があり色々と勉強しており、私もベトナム・米国株を勉強していたため、飲みの際に意気投合し今も月1回くらいでLINEで銘柄の研究などを2人でしています。

彼は、割と生き方にこだわりがなく、上にも書いた通り、

「負担が少ない職場に転職し給料を貰う方法を模索している」
「程々給料をもらえてラクな部署に行きたい」
「搾取されたくない」

というようなことを時々聞きます。

労働好きの日本人らしさからか、ついついこの手のことを批判的に捉える方が多いですが、なぜか、彼を批判する気になれませんでした。

批判する気にならなかった理由が何となくつかめずモヤモヤとしていたのですが、昨年中国で流行した「寝そべり主義」という言葉をふと思い出し、納得することができました。

厳密に言うとFさんの生き方は寝そべり主義ではありませんが、

必要以上に自身に負担をかけず、ある種、搾取されないよう抗議活動としてゆるく働く。

そういう生き方も寝そべり主義の一つの形なのかもしれない、と感じました。

寝そべり主義(躺平主義)とは

さて、そもそも「寝そべり主義」とはなにか。

「寝そべり族(ねそべりぞく)、寝そべり主義(ねそべりしゅぎ)、躺平主義(タンピンしゅぎ)とは、中国の一部の若者が選択したライフスタイルであり、かつ社会抗議運動」のことです。
(略)
彼らの行動としては、「”不買房、不買車、不談恋愛、不結婚、不生娃、低水平消費”(家を買わない、車を買わない、恋愛しない、結婚しない、子供を作らない、消費は低水準)、「最低限の生活を維持することで、資本家の金儲けマシーンとなって資本家に搾取される奴隷となることを拒否する」といったポリシー」を持っており、基本的には最低限のと貯蓄で生活し何もしません。

(Wikipedia 「寝そべり族」)

日本でも形を変え昔から存在していた

「寝そべり主義」は元々中国発祥の言葉です。

しかし、中国人特有のムーブメントではありません。
昔から日本人も似たような行動を取っています。

ニートの青年の「働いたら負けだと思う」発言や、不遇な氷河期世代の「サイレントテロ」などの行動がこれに近いと思います。

広義として2020年頃に広まった「FIRE」なども最低限の利回りを得て、規模の小さい生活(ミニマリズム)をする点において近い要素を感じます。
Youtube動画でも、ひろゆき氏の動画などで語られる「ミニマリズム」的な観点支持される理由の一つにもこのような「寝そべり主義」の流れを汲んでいると思います。

なお、「サイレントテロ」とは「格差社会などの資本主義に嫌気がさし、競争社会・消費社会へ参加することを放棄した消極的思想のこと」を指し、ほぼ同様の意義です。

集団的な点はともかく暴力行動に出る、実際の「テロリズム」とは異なります。
(Re:社会人生活に疲れた件(´・ω・`) 増えるサイレントテロリスト

氷河期世代の不遇とサイレントテロ

仮説として「寝そべり主義」が生じたのは、
「不遇な目、搾取などに遭ってきた(又は遭いたくない)ため、最低限の収入を確保して社会と関わらないようにしたい」という防御行動と考えます。

これらを社会現象とさせた原因は、「一定の人だけトクをする状況」に基づくものではないかと思います。「行き過ぎた格差や優遇」、「特定の世代へのばらまき」、「(法令、市場の)労働搾取の容認」などの対象にならない人たちにとって、今生きている国や世の中に対する結果といえます。

例えば、大学入試、就職試験、資格試験などを通過したエリート層に対し、
ほぼ同等の努力をした一般人に比し、もらえる収入が数倍も変わること。

他にも「派遣業」、「サービス残業や固定残業制の悪用」、「パワハラ・セクハラ」などの劣悪な職場環境の黙認や対応の遅さ。人件費を安く済まし、劣悪な環境に法整備してしまったことによる特定の人への優遇などにうんざりしてしまった人たちの最後の抵抗と言えるのかも知れません。

氷河期世代では、正職員の採用が少なく、定期的に契約を切られてしまい給与増加を見込めない「派遣業」などの就職が増えた頃でした。同じ程度努力をした前後の世代では、給与・福利厚生等、はるかに上の待遇なのに努力が報われない。

そして、国は彼らに支援する気もなく、むしろ劣悪な環境で安く使える労働者を歓迎している。

これらに対する閉塞感や虚しさ、前述「サイレントテロ」の意義にもある通り、これらの「無気力に似た反抗」こそが、「寝そべり主義」などの行動の本質だと思います。

集団主義ではなく、「不公平さにうんざりした特定の世代や業界の人が自分の幸せの最適解を求めた結果」、寝そべり主義が登場したのだと言えるでしょう。

では、どうしていくべきか。

この手の記事を書く時、「では、どうすればいいのか」を極力最後に書くようにしてます。

Fくんの話を最初に聞いた頃は「彼らがどうしたら行動して、幸せになれるのか」を考えていました。

しかし結論は、考えるほどむしろその逆でした。

「彼らは、そのままで良いのではないか」

と思えてきました。
こういうのは初めてです。

なぜなら、「彼らは決して不幸というわけではない」です。

加えて、国会議員や政府は、(将来はどうでも良く、次の選挙で自分の票をもらうため)特定の人を幸せにすることにリソースを割きます。決して寝そべり主義の人を動かし、国全体を活性化する気はないのかもしれません。

そうすると、Fくんのように「今の状態が程々幸せで、今後も維持できると見込めるなら頑張らなくて十分。」と感じているようにも見えます。

車も、家も、配偶者も、子供も要らない。
そんなことより自分が生きられる環境を作る。

というのは一つの生き方であり幸せのカタチ。

成果を出し、組織のために尽くしても、給与・待遇が良くならない環境にいたことで特定の優遇に対しアホくささを感じ、「搾取されず」「生きる上では苦労しない」という場所を求めているように思います。

もし、彼らが変わるきっかけを作るなら「出した成果分だけ評価・報酬に繋がる」ようにすること。くらいでしょうか。

今後も、「寝そべり主義」と類似の言葉が流行したら、そこには「格差・優遇」、「不公平」を感じる要素があるといえるのかも知れません。

「行き過ぎた格差」、「不公平」、「閉塞感」。
がんばる気持ちを削ぐ環境に対する反抗、それが「寝そべり主義」なのです。

そして、「寝そべり主義」となった労働者を戻す手段は無いのかも知れません。

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