リュウです。
第20章は、結婚後~バフェットの子供が生まれるまでの話です。
結婚後、大きな流れとしては、
父親のハワードが下院議員を期間満了で辞める、
バフェットとと共にオマハで投資会社を開く、
グレアム先生の会社からお誘いがかかる、
子が産まれる。
と言ったところです。
一度、ユダヤ人のためのワクを確保するため、
グレアム先生に入社を断られたバフェットですが、
突然お呼びがかかります。
バフェットは快諾し、ニューヨークへ向かいます。
グレアム先生のファンドで行う投資法は、
安売りされている企業を買い、じっくりと待つことで利益を上げます。
「シケモク投資法」と呼ばれるもので、
安売りされている企業の株式の差益分(最後のひと吸い)を得る手法です。
そのために、解散時の簿価を計算して、
投資リスクを少なくした上で投資します。
(これを安全域と呼ぶ)
グレアム先生の手法は、多数の銘柄に分散することでさらにリスクを削っています。
ローリスク・ミドルリターンの投資法といえるでしょう。
バフェットも、40歳くらいまでは、この投資法をメインに行っています。
この章では、グレアム先生のお金に対する執着の少なさを感じる言葉があります。
あるとき、私たちはエレベーターを待っていた。
レキシントン街42丁目にあるチャニン・ビル一階のカフェテリアへ食事に行くところだった。
するとベンはこういった。
「ウォーレン、ひとつ覚えておくといい。
お金があっても私や君の暮らしぶりは大して変わらない。
私たちはこの先も昼食をとりにカフェテリアに行き、
毎日仕事をし、楽しい時間をすごす。
だから、あまりお金のことを心配するな。
お金があっても暮らしぶりは大して変わらないのだから」とね。
グレアム先生はお金に対する執着は少なく、
株式投資は脳の鍛錬程度に考えていたようでした。
バフェットは、お金を使うことにはそれほど興味はありませんでしたが、
お金が増えていくことについては興味を持っていたようです。
当時は、結婚したてで、他人の生活も責任を持つ立場だったので、
興味ないといっても、気にせざるを得ない立場だったと思います。
めまぐるしく動いていく、
バフェットの仕事と家庭環境の中で、
長男のハワード・グレアム・バフェットが生まれます。
●名前について
長男の名前を、ハワード・グレアム・バフェットとするあたり、
ハワード(父親)、グレアム(先生)をいかに尊敬していたかわかります。
長女も、スーザン(スージー、リトル・スーズ)と名づける辺り、
妻スージーのことが好きだったことの現われなのかもしれません。
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